こっそりしているブログ

@koosorigaoka2B のメモ帳兼ブログです

今年のまとめ(雑)

 今年は半年以上「胃が痛い」日々だった。ゼミの指導教員との不和がありずっと無視をされていたため卒業できるか怯えて過ごしたお正月。

 フリーター生活1年目の不安に襲われた8月。

 極めつけは12月、ずっと参加していた読書会の主催者と世間話をしていたと認識してDMのやり取りをしていたら、相手が急に怒り出してそのままうんともずんとも応答してくれなくなった。私が事情を聞こうとするも無視され続ける。とはいえ読書会の案内自体は来てしまった。私は参加すると言った手前そのまま逃げるということもできない。参加者の急な失踪は主催者を幾度も悩ませてきたことを知っていたからだ。また何よりも、その場は本を読みたい人に開かれているということを主催者は語っており、私はこれを固く信じていたから。読書会当日、2回ほど連絡をした。主催者はこれも無視。ここに至って、どうやら完全に絶交のようだと、ようやく私は判断した。

 私は、この読書会自体は他の参加者の利益になるものであるから今回のことを取り立てて騒ぎ立てる必要はないと考えている。しかし、何か言ってやりたいという気持ちがあることもまた確かであるので、この記事で吐き出そうと思う。
 主催者のブログの今年を締めくくる記事にこう書かれていた。「もちろん人間関係は壊れやすいもので、意見相違や立場の違いから、維持することが困難になることもあります。しかしそんな苦しい現実も含めて、私は今後も読書会を続けていきたいと思います。」。

 12月の中旬くらいに今回の一件があってから私は主催者に無視され続けた。コミュニケーションなのだからどちらか一方だけが悪いとは考えないが、しかし今回の無視は一方的であり、主催者のブログの記事だけを読むと、まるで私が主催者や読書会そのものに悪意を向けたかのような観があり、怒りがある。

 引用した部分に次のように言ってやりたくもなる。「あなたの気分は壊れやすいもので、意見相違や立場の違いから、人間関係を維持することが困難になることもあるでしょう。しかしそんな苦しい現実も含めて、あなたは今後は私のような人間を出さないで読書会を続けていってほしいと思います。」。

 というかせめて追放なら追放って言ってほしい。宙吊りにされるのが一番苦しいんだよ。

神崎繁 著『ニーチェ』NHK出版 2002年 を読んだメモの覚書き

○『朝焼けの輝き』第137節

・『朝焼けの輝き』第137節が私をとらえた。

・「この一節は、あの事件を前にした私の狼狽をニーチェ自身に見透かされているような、そして逃げてはいけないと促すような、そんな形で私に迫ってきた。ここでニーチ ェが述べているのは、他者の不幸に同情するという、おそらく誰もどがめ立てするはず のない感情には、実はその他者を救えない自分の無力と、その無力さをさらけ出す苦痛 を免れるために、巧妙に仕組まれた正当防衛が含まれているということである。それは 一種の復讐でさえあるという」 (P.11)。

 

・「ニーチェの『同情の禁止』は、まず何よりも『他者の苦痛』を自らのものとするという本来不可能なことを可能だとすることによって、自他の境界を安易に乗り越えうるとする【同情の哲学の】前提そのものに向けられている点で、そ【=日本語の自他の厳然とした区別を前提とする功利的意味合い】のような『自助』の思想とは似て非なるものである。」 (P.P12-13)。

 

○苦難と距離を取り、それに向き合うこと

・「『困難』や『苦悩』に向き合うこと、そのうえでなお、というよりそのためにこそ、『他者への同情』を行ってはならないこと」。

 ・「困難」や「苦悩」を、「単なる世界情勢としてではなく、われわれが直面し、そのう ちに住まう世界そのものの問題として考察すること」。

・「出来事や行動をいくら追求し、理解しようとしても、彼らの犠牲に対する答えは得られない。『犠牲者』が、単に言葉のうえでの比喩でなく、われわれの『生』そのものが、理不尽にも、その最良の者たちを文字通り『生け贄』として求めていると考えることで、彼らに降りかかった苦難を想い、自分たちに与えられた試練を直視することが、辛うじてわれわれに可能となる。こうして、われわれは『どうして同情してはいけないのか』というニーチェの問いの前に立っている。」 (P.19)。

 

○「起源」をめぐる誤解

・『悲劇の誕生』の第2版に付された序文で「おそらく今日なら私は、ギリシア人における悲劇の起源といったような、困難な心理的問題に関しては、もっと慎重に、言葉少なに語るだろう」と語られている。

フーコーは、「ニーチェ、系譜、歴史」という論文で、「『発生 (Entstehung) 』、『来歴 (Herkunft) 』、『出来 (Abkunft) 』、『系譜 (Genealogie) 』、そして『誕生 (Geburt) 』といった一群の語を使うことで、ニーチェは『起源 (Ursprung)の語の特権性を無効にしようとしている』」との指摘をしている。「ここ【=『悲劇の誕生』第2版の序文】で『起源』といわれているのも、差異を根底に置いた【歴史的・実証的なという観点から見て】特権的な『起源』を意味するものではない。ニーチェは『起源』ではなく、あくまでも『心理』を問題としている」 (P.P.36-37)。

・「つまり、アッティカ悲劇は、基本的に『距離の感覚』である視覚にもとづいて、対象と同化することなく、観察的な眼で、その形象を自分の外に見るアポロン的なもの』と、基本的に『没距離の感覚』である聴覚にもとづいて、対象と同化、没入的な態度で、その形象を自分の内に体験するディオニュソス的なもの』の拮抗によって、辛うじて成り立っているものである。それゆえ、このような悲劇体験、つまり一般に芸術体験を行おうとする者は、つねに同様の内容を現に体験しているのでなければならないニーチェは主張しているのである。ニーチェが、ディオニュソス神そのものについて比較的語ること少なく、もっぱら『ディオニュソス的なもの』についてのみ語るのは、このためである。」 (P.38)。

・「それ【=『悲劇の誕生』における問題】は悲劇の「起源」の問題ではなく、芸術体験の『心理』もしくは『生理』── いや、ギリシャ語のパトス(それはこの一語で感情、体験、受難、罹患のすべてを表わす)の問題だったのである。」 (P.39)。

 

○「自らの災悪を他人のことと感じる」

アリストテレスの思考とは「対照的に、ストア派の正当的な立場においては、憐れみを含めた『感情』全般は、本質的に病的なものであり、キケロは、ギリシア語の『感情 (Pathos) 』をラテン語に訳する際、ストア主義の立場により忠実に『病 (morbus) 』と訳したかったが、憐れみや悲しみの感情をすべて病的なものとするのは不自然なので、『心の動揺 (Perturbationes animi) 』という表現を採用したと回顧しているほどである。」 (P.42)。

 ・このようなストア派の立場は「ソクラテス主知主義的立場【=『魂の善さ』という 善を本質的なものとし、ゆえにそれを「知る」ことを善いこととする。そして、それ以 外の世間的に善とされるものを尽く無価値とする立場】にもとづく道徳的な自足

 性を範としているのである。」 (P.43)。

ストア派的な「克己的な立場は、次第に自己の感情を異化する方向へと転調していくこととなる。」。

 ・ストア派的立場は、「他者への憐れみ」を「利己的な観点」に立脚した感情として攻撃するが、「このような非難は、他者への憐れみを放棄するだけでなく、自らの悲惨を顧慮しない態度をとらねばならない。それは、先ほどの『他者の災悪を自らのそれとして恐れる』という態度に精確に呼応して、『自らの災悪を他者のものとみなして恐れない』という態度をつくり出すことになる」。

・「ニーチェの『憐れみ(Mitleid) 』に対する攻撃は、そのようなストア主義の顕著な影響下にあるのである。」 (P.44)。

 ・『朝焼けの輝き』第133節等。

 

・「『病者の認識について。──病気の人間の状態は、それが長く、またたっぷりその

  苦しみを味わわされながら、なお知性が曇らされていない場合、認識にとって少なからざる価値をもつ──・・・重い病に苦しむ者は、おそろしいばかりの冷ややかさでもって外部のものを見る。健康な者の眼がそれに向けられれば、通常事物が浮遊するはずの、あのささやかな詐術的な魔法も、病者の前では消え失せる、そればかりか、彼自身、分の眼前にうぶ毛も色彩もはぎ取られて横たわるのである。彼が今まで何らかの幻想のうちに生きてきたとすれば、苦痛によるこの最高の覚醒は、そこから彼を引き出す手段  であり、おそらくは唯一の手段である。』」(『朝焼けの輝き』第一一四節)。

・「ニーチェには、このような病者の心理と生理にもとづく、対照および自己自身との特異な、そしてある意味では絶妙な間合いの取り方、距離感というものがあるように思われる。それは、心酔し傾倒する相手に対して、その相手をまず二重化して、優れた点・好ましい点だけに注目して、そこに自己の模造もしくは分身を見出し、そして反対の劣った点・好ましくない点をそれ【=相手の尊い側面に見出した自己の分身(自己の理想像?)】と闘わせ、競い合わせて、前者の優れた点・好ましい点を高めていくという方法である。その際、劣った状態に対する『同情』・『憐れみ』は、この競い合いもしくは闘争を妨げるものとして厳しく退けられる。こうして、心酔・傾倒は、一瞬にして反発・敵対に転化する理由も、同じ点に求められる。だが、反発し敵対するようになったからといって、相手に対する敵対者としての尊敬を失うわけではない。」 (P.P.51-52)。

・「ただ、それらに違いがあるとすれば、それは、ストア派が同情することによって自己に加えられる危害を避けるために、他人の災悪を自らに関わりのないものとして無視しようとするのに対して、エピクロス派は、そのような苦難に対する恐れを世界の構造の認識によって無化しようとする点にある。つまり、このたしかに『非人情』と言える態度は、世界に対する生の利害を離れた視点からの、つまりその意味で『死んだ世界』からの、『死者の視点』からの眺望なのである。」 (P.58)。

エピクロス

ニーチェにとってのエピクロス

 ・「『古代末期の人々の魂の癒し手』」(『人間的な、あまりに人間的な』第二部「漂泊者とその影」第七節)と呼ぶ。しかしニーチェにとってもそうであった気がある。

・若きニーチェの『ディオゲネス・ラエルティオス』研究が綴られた「研究草稿」には、「単に資料としてばかりでなくエピクロス哲学そのものに対するニーチェの共感を読み取れる」。

・「さて、そのような励ましと慰めの処方箋とは、何かに行き詰まったとき、『それがいったいわれわれに何の関わりがあるというのだ』と問いなおしてみること、そして、さらにそれでもうまく行かない場合は、『そうであるとしても、それは別の事情によってそうなのかもしれない』と考えることであるという(同じく「漂泊者とその影」第七節)・・・後者の場合は、ひとつの仮説にすぎないものに固執した者に、別の仮説の可能性を示すことで、それに直接反論することなく、事態を別の眼で眺める視点を与えるものである(同じく『ディオゲネス・ラエルティオス』第十巻、八五~七節に記載がある)。」 (P.59)。

・『晴れやかな知』における断章「エピクロス」における「『病者』ニーチェの共感」。

エピクロス──そうだ、僕はエピクロスの性格を大抵の人とはおそらく違った仕方で受け取っていることを、つまり、彼について眼にしたり耳にしたりするすべてについて、古代の午後の幸福を感じとることができることを誇りとする者だ。僕には見える。エピクロスの眼が、陽の光を浴びた岸辺の岩の彼方に、広大な白く光る海を見はるかしているのを。大小の動物が陽光のなかで戯れ、まるでその陽光そのもののように、また彼の眼そのままに安らいたゆたっているのを、そんな幸福を編みだすことができるのは、絶え間なく苦悩する者だけだ。その眼の前では、存在の海は凪いでいる。その表面、そのさまざまに色を変え、繊細で、震えおののく海の肌えを、この眼は飽かず眺める、──そんな眼の幸福だ。こんなに慎ましやかな欲望はそれまでなかった。(第四五節)。

・シルス・マリーアにおいて書かれた「同じものの回帰」と題する覚え書き。

 ・「根本的誤謬」=「生物としての人間が生の継続のために習得・体現しなければならない生存に有用な『誤謬』」。

 ・これに加えて、「『熱情』(もしくは『感情』)、『知』、さらには生を突き放して見る『諦念的知』もまた、予測や期待、経験的な記憶や回顧をそのうちに含んでいる以上、完全な意味で生に対する『関心』から自由であることはできない。

 ・「それゆえ、特に4の段階に関して、『無関心の哲学』という見出しのもとに、生に対する特定の観点からの『認識』──それは制限され、制約されているから誤謬と呼ばれる──を保持したまま、義務や任務という性格を解除する方向性が示されている『特定の観点に立ちながらも、義務という任務を免れる』というのは、いかにも杓子定規な言い方だが、要するに『遊び』、『遊戯』である。そして、『遊戯』はつねにその過程だけが問題であり、結果や目的を顧慮するものであってはならない。結果や目的をもつ限り、われわれは『囚われたもの』である。」 (P.P.78-79)。